臨床エンジニアが求める製品特性:現場視点の開発アプローチ

医療機器の操作ボタンに触れる手が、少し震えている。

あなたは気づいたことがあるだろうか?臨床エンジニア(臨床工学技士)が関わる医療現場では、テクノロジーと患者さんの命が直接つながっていることを。

私たちが日常で使うスマートフォンアプリで操作ミスをしても「やり直せばいい」で済むけれど、医療機器の世界では一瞬のミスが取り返しのつかない結果を招くことがある。

そんな極限の現場で働く臨床エンジニアたちが、医療機器に求めているものは何なのだろうか?

実はそこには、スペックや最新技術だけでは解決できない”温度差”が存在している。

医療機器の開発において、技術的な進歩はもちろん重要だ。

しかし、それと同じくらい「人間らしさ」への配慮も必要なのではないか——UXエンジニアとして医療機器開発に関わる私が、現場の声から見えてきた開発アプローチをお伝えしたい。

臨床エンジニアのリアルな日常

医療機器の操作だけじゃない?彼らの守備範囲

「臨床工学技士って、透析の機械を動かしているスタッフでしょ?」

こう思っている方も多いかもしれない。

確かに、透析業務は臨床エンジニアの重要な仕事の一つだ。

しかし、その守備範囲は想像以上に広い。

人工心肺装置、人工呼吸器、ペースメーカーの管理、内視鏡手術のサポート、手術室の機器全般の操作…実に多岐にわたる医療機器を扱っている。

日本臨床工学技士会の統計によれば、一人の臨床エンジニアが年間で関わる医療機器の種類は平均で15種類以上にも及ぶ。

「朝は集中治療室で人工呼吸器のセッティング、昼は手術室で心臓手術の補助循環装置の操作、夕方は病棟の医療機器点検…」

このように、一日の中でも担当する機器や場所が目まぐるしく変わることも珍しくない。

さらに特筆すべきは、臨床エンジニアは単なる「機械の操作係」ではないということだ。

彼らは医学と工学の両方の知識を持ち、医師や看護師と連携しながら患者さんのケアに関わるチーム医療の一員なのである。

意外と知られていない「トラブル対応力」と「判断力」

深夜、急患が運ばれてきた。

ECMO(体外式膜型人工肺)の緊急導入が必要だと医師が判断する。

しかし、装置にエラーが表示された。

こんな時、臨床エンジニアの真価が問われる。

「実はトラブル対応こそ、私たちの仕事の核心部分なんです」と、10年のキャリアを持つベテラン臨床エンジニアは語る。

医療機器のアラームが鳴った時、表示されたエラーコードの意味を瞬時に理解し、対処法を判断する。

これは単なるマニュアル的知識ではなく、機器の原理・構造への深い理解と、臨床経験から培われた直感的判断力が必要になる。

時には、メーカーのサービスエンジニアでさえすぐに解決できない問題を、臨床エンジニアが現場の知恵で乗り切ることもある。

彼らのトラブル対応力は文字通り「命綱」となるのだ。

ケアの最前線にいるエンジニアたちの視点

「機械を見るだけでなく、患者さんの顔も見る」

これが臨床エンジニアの基本姿勢だという。

たとえば人工呼吸器を扱う場合、単に数値やグラフをチェックするだけでなく、患者さんの呼吸の様子、顔色、表情の変化まで観察する。

時に患者さんとの対話から得られる情報が、機械では測れない重要なヒントになることもある。

「患者さんが『この音が気になる』と言ったことで、私たちが気づかなかった機器の不具合を早期に発見できたこともありました」と臨床エンジニアの一人は話す。

医療機器と患者さんの間に立ち、両者をつなぐ通訳者のような役割を担っているのだ。

そして、このような現場でリアルに機器と向き合う臨床エンジニアだからこそ見える「あったらいいな」という機能や、「ここが使いにくい」という改善点がある。

開発者には見えない、使用者だけが知る貴重な視点がそこにはある。

製品に求められる3つの”やさしさ”

1. 不安に寄り添うインターフェース

「お年寄りの患者さんが、なぜ見慣れない機械に不安を感じるのか、考えたことがありますか?」

これは私が臨床エンジニアから受けた、忘れられない質問だ。

医療機器のインターフェースは、単に「効率的に操作できる」だけでは不十分である。

患者さんや医療従事者の「不安」に寄り添うデザインが求められている。

例えば、透析患者さんが初めて機械を目にしたとき、複雑な配管や鋭いアラーム音、無機質なデザインに恐怖を感じることがある。

「私の血液がこの機械を通るの?」という不安は当然だろう。

このような不安を軽減するためのインターフェース設計とは何か?

研究によれば、以下のような要素が重要だとされている:

  • 情報の視覚的な整理(優先度の高い情報を直感的に理解できる配置)
  • アラーム音の人間工学的設計(緊急度に応じた音色や音量の違い)
  • フィードバックの明確さ(操作の結果が確実に伝わる仕組み)
  • 状態の可視化(「今、何が起きているのか」が一目でわかる表示)

「患者さんが安心して治療を受けられるよう、機械の動作状況が一目でわかり、次に何が起こるかが予測できるインターフェースが理想です」と臨床エンジニアは語る。

不安を軽減するインターフェースは、患者さんだけでなく、医療スタッフにとっても重要だ。

彼らが自信を持って機器を操作できることが、最終的には患者さんの安全と安心につながるのである。

2. ストレスを減らす操作性とメンテ性

臨床エンジニアがある医療機器メーカーに送ったフィードバックには、こんな言葉があった。

「私たちは緊急時、マニュアルを読み返す時間はありません」

これは医療機器の操作性を考える上で、極めて重要な視点だ。

緊急時、ストレス下での操作を想定した設計が必要なのである。

具体的には:

  • 直感的な操作フロー(論理的な順序で自然に操作できる設計)
  • エラー時の回復性(操作ミスからの復帰が容易である)
  • 重要操作の物理的な防護(誤操作を防ぐ工夫)
  • 視認性の高いボタンや表示(薄暗い環境でも確認しやすい)

1. 緊急時の操作性

  • 少ないステップで核心的操作にアクセスできる
  • 重要なパラメータの調整が迅速にできる
  • 緊急モードへの切り替えが明確である

2. 日常的なメンテナンス性

  • 消耗品の交換が簡単である
  • 清掃がしやすい設計になっている
  • 定期点検のチェックポイントにアクセスしやすい

「私たちが最も評価する機器は、緊急時に迷わず操作できて、かつ日常のメンテナンスが容易なものです」と15年のキャリアを持つ臨床エンジニアは言う。

医療機器の操作性とメンテナンス性は、実は表裏一体の関係にある。

日常的に手入れがしやすく、状態が把握しやすい機器は、緊急時にも信頼して使用できるのだ。

3. チームで使うことを前提にした設計思想

医療は決して一人で行うものではない。

医師、看護師、臨床エンジニア、場合によっては他の専門職も含めたチームで患者さんをケアする。

そのため、医療機器も「チームで使う」ことを前提にした設計が必要だ。

「同じ情報を異なる視点から見る必要がある」というのが、臨床エンジニアからよく聞かれる声である。

例えば手術室では:

  • 執刀医は詳細な生体情報よりも、手術の進行に直接関わる情報に注目する
  • 麻酔科医は呼吸・循環系のパラメータを継続的に監視する
  • 看護師は投薬や出血量などの記録に集中する
  • 臨床エンジニアは機器の正常動作と設定値の整合性を確認する

こうした多様なニーズに応える設計とは:

  • 表示情報の階層化(役割に応じた情報アクセス)
  • 情報共有のしやすさ(画面の切り替えや転送が容易)
  • 操作履歴の透明性(誰が何をしたかがチーム内で共有できる)
  • 異なる専門性を考慮した表現方法(職種ごとの専門用語への配慮)

「最近の統合モニタリングシステムは改善されてきましたが、まだ『特定の専門家だけが使いやすい』設計が多いように感じます」

これは手術室で働く臨床エンジニアの率直な意見だ。

チーム医療を支える機器は、特定の専門家だけでなく、関わるすべての人が必要な情報にアクセスしやすい設計であるべきだろう。

開発現場が陥りがちな「ズレ」とは?

スペック優先vs. 実際の使われ方

医療機器メーカーのエンジニアとして10年、その後臨床エンジニアとして現場に転身した方の言葉が印象的だった。

「開発側にいた頃は、常により高精度に、より多機能にすることが最善だと思っていました。でも現場に来てみると、単純な機能でも確実に動くことの方がはるかに重要だと気づいたんです」

このギャップは多くの医療機器開発で見られる現象だ。

例えば、高度な自動診断機能を搭載した医療機器。

開発側は「最新のAIで自動診断!」と誇るかもしれないが、現場では「診断結果の根拠がブラックボックスで不安…」と感じるケースが少なくない。

あるいは、「多機能」を売りにした機器が、実際には基本機能しか使われず、複雑な操作体系だけが残るというミスマッチも起きている。

臨床エンジニアからは次のような声が聞かれる:

「新機能よりも、基本機能の確実性・安定性を高めてほしい」

「使用頻度の低い機能が操作を複雑にし、エラーの原因になることがある」

「スペックシートの数値よりも、実使用時の安定性が重要」

開発側が陥りがちな「スペック主義」から脱却し、実際の使われ方に即した開発アプローチが求められているのだ。

“機能”より”意味”が問われるとき

「なぜこの機能が必要なのか」

この問いに明確に答えられない機能は、実は不要かもしれない。

医療機器開発において、「できること」よりも「なぜそれが必要か」という”意味”が問われる時代になっている。

ある透析装置開発の例を見てみよう。

開発チームは「より多くのデータを収集・表示できる」機能を追加した。

しかし、現場からは「データ量より、異常値の検出と対応方法の提示が欲しい」という声が上がった。

量より質、機能より意味——このようなパラダイムシフトが起きている。

臨床エンジニアは語る。

「私たちが欲しいのは、機能の羅列ではなく、臨床判断をサポートしてくれる意味のある情報です」

「患者さんのためになる」という明確な意味を持った機能開発こそが、現場で評価される医療機器の条件なのだ。

テクノロジーが”優しさ”を失う瞬間

高度な医療機器が時に「冷たく」感じられるのはなぜだろうか。

それは技術的な洗練と人間的な温かみのバランスが崩れた時に起こる。

ある手術支援ロボットの開発者は、当初「高精度な操作の実現」を目指していた。

しかし、実際に使用する外科医からは「機械的な動きで患者さんに不安を与える」という予想外のフィードバックがあった。

そこで開発チームは、「人間らしさ」を意識した動作設計を取り入れ、患者さんへの心理的影響も考慮したデザインに変更した。

テクノロジーが”優しさ”を失う瞬間とは:

  • 技術的完璧さを追求するあまり、人間の感覚や心理を無視したとき
  • 効率性のみを重視し、使用者の習熟度や心理状態を考慮しないとき
  • デザインが「機械らしさ」を強調し、親しみやすさを欠いたとき

「最先端技術と人間らしさは、決して相反するものではありません。むしろ、本当に優れた医療技術は人間の感覚に寄り添うものであるべきです」

これは人工呼吸器の開発に関わった臨床エンジニアの言葉だ。

テクノロジーが真に進化するとは、単に機能が高度化することではなく、人間との調和を深めていくことなのかもしれない。

現場の声をどう拾い上げるか

ユーザーテストだけでは足りない理由

新しい医療機器の開発過程で、メーカーは通常「ユーザビリティテスト」を実施する。

これは重要なプロセスだが、残念ながらそれだけでは現場の真のニーズを捉えきれないことがある。

その理由は:

  1. テスト環境と実際の医療現場のギャップ

テスト環境は通常、整えられた理想的な状況下で行われる。

しかし実際の医療現場はどうだろう?

緊急対応の慌ただしさ、夜間の薄暗い照明、複数の機器が発するアラーム音、時には患者さんの突然の状態変化…。

「静かで明るい会議室での操作テストを通過しても、深夜の救急外来では全く使いものにならない機器もあります」と救急医療に携わる臨床エンジニアは指摘する。

  1. 慣れていない状態でのテストの限界

多くのユーザーテストは、被験者が初めて機器に触れる場面を観察する。

これは初期の学習障壁を発見するには有効だが、長期使用での課題は見えてこない。

「毎日使うようになって初めて気づく不便さがあります。それは短時間のテストでは絶対に見つけられません」

このような実使用での発見を拾い上げる仕組みこそが必要なのだ。

  1. 職種間の連携を見落とすリスク

個別のユーザーテストでは、チーム医療の文脈における使いやすさが評価できない。

「実際の医療では、医師、看護師、臨床エンジニアが連携して機器を使います。その連携の流れの中で初めて見えてくる問題もあるんです」

真に有効なフィードバック収集には、実際の医療環境での観察と、長期的な使用経験からの声を拾う仕組みが必要不可欠なのだ。

「一番遠い読者=一番声なき利用者」へのまなざし

「開発者が見落としがちなのは、『声の小さな利用者』の存在です」

これは医療機器のUI設計に関わるデザイナーの言葉だ。

医療機器の利用者は多岐にわたる:

  • ベテランの医療スタッフ
  • 新人の医療従事者
  • 様々な年齢・背景の患者さん
  • メンテナンスを担当する技術者
  • 時には患者さんの家族

この中で、特に「声の届きにくい利用者」の視点を意識的に取り入れることが重要だ。

例えば、ある在宅医療機器の開発では、当初、操作する医療従事者の視点を中心に設計が進められていた。

しかし、実際に使用するのは高齢の患者さん自身であることに気づき、設計を一から見直したケースがある。

「一番遠い読者=一番声なき利用者」とは、開発チームから最も遠い位置にいて、自分の意見を表明する機会が少ない人たちのことだ。

彼らの視点を取り入れるためには:

  • 現場観察を徹底する(言葉にならないニーズを発見する)
  • 多様なステークホルダーからの意見収集(直接的な利用者だけでなく)
  • 極端な使用条件を想定したテスト(最も厳しい条件下でも機能するか)
  • エスノグラフィー調査(利用者の生活や文化的背景の理解)

「設計者が意識的に『自分とは異なる立場の人』の視点を取り入れる努力をすることで、より包括的で使いやすい医療機器が生まれるはずです」

この視点は、単に「使いやすさ」を超えた、真の意味での「ユニバーサルデザイン」につながるものだ。

医療従事者との共創が開くプロダクトの未来

医療機器開発において、最も効果的なアプローチの一つが「共創」である。

医療従事者、特に臨床エンジニアと開発チームが対等なパートナーとして協働することで、革新的なプロダクトが生まれる可能性が高まる。

成功事例を見てみよう:

ある人工呼吸器メーカーは、製品開発の全段階に臨床エンジニアを参加させる「クリニカルフェロー制度」を導入した。

彼らは定期的に実際の医療現場に開発者を派遣し、臨床エンジニアとペアを組ませることで、リアルな使用状況の理解を促進した。

その結果、「理論的には正しいが現場では使いにくい」機能が大幅に減少し、医療従事者からの評価が飛躍的に向上したという。

効果的な共創のポイント:

  • 開発初期段階からの参画(問題定義の段階から臨床視点を取り入れる)
  • 継続的なフィードバックループ(一度きりでなく、繰り返し対話する)
  • 現場訪問と観察の徹底(机上の議論に留まらない)
  • プロトタイプの実環境テスト(可能な限り実際の使用環境で評価する)

「私たち臨床エンジニアは、メーカーの方々と対話する機会が増えることを望んでいます。単なる『意見箱』ではなく、対等なパートナーとして」

この言葉には、医療機器開発の未来への重要なヒントが含まれている。

共創的アプローチは、単に「使いやすい」機器を超えて、医療そのものを変革する可能性を秘めているのだ。

プロダクト開発に生きる「ケアの視点」

「記憶する体」から学んだ”気づき”の重要性

私が臨床エンジニアとの対話の中で繰り返し耳にしたのは、伊藤亜紗氏の著書『記憶する体』への言及だった。

この本が医療機器を扱う専門家たちに与えた影響は、想像以上に大きいようだ。

「『記憶する体』は、私たちが無意識に行っている身体的な知恵に光を当ててくれました」と臨床エンジニアの一人は語る。

この著作で示された「身体知」の概念は、医療機器のデザインにおいても重要な示唆を与えている。

例えば:

  • 熟練した臨床エンジニアが、機器のわずかな音の変化から異常を察知する能力
  • 長年の経験から培われた「触感」で適切な圧力や張力を瞬時に判断する技術
  • 言葉にならない「何か変」という違和感が重大なトラブルの予兆を捉える直感

これらは「暗黙知」とも呼ばれる身体に蓄積された知恵だ。

「私たちが無意識のうちに行っていることを、機器設計に取り入れることができれば…」

この気づきは、医療機器開発における新たなアプローチの可能性を示唆している。

例えば、ある透析装置の開発では、熟練技師の「手の動き」や「目線の移動」を詳細に分析し、それを反映した操作動線を設計したことで、トレーニング時間の大幅短縮に成功したという。

「記憶する体」の視点は、単なる効率化を超えた、人間の身体と機械のより深い調和を追求する道を開いているのだ。

身体を起点に考えるデザインとは?

医療機器開発において、「スペック表」から始めるのではなく、「使用者の身体」から発想するアプローチが注目されている。

この「身体起点のデザイン」とは何か?

それは単に人間工学的に握りやすいハンドルを作ることではない。

使用者の身体的・精神的な体験全体を理解し、その自然な流れに沿ったデザインを模索することだ。

例えば、手術室で使われる機器の設計について、あるプロジェクトでは次のような身体起点のアプローチが取られた:

  1. 外科医の「立ち位置の変化」と「視線の移動」を詳細に記録
  2. 長時間の手術における「疲労の蓄積パターン」を分析
  3. 緊急時の「反射的な動作」を研究
  4. 手と目の協調動作の特性を理解

これらの知見を元に設計された機器は、「まるで体の一部のように使える」と高い評価を受けたという。

身体起点のデザインの具体例:

  • 触覚的フィードバック(視覚に頼らなくても操作状態がわかる)
  • 音響的階層化(重要度に応じた音の設計)
  • 自然な動作連鎖を考慮した配置(一連の動作が途切れない設計)
  • 姿勢変化を想定したインターフェース(様々な体勢でも操作可能)

「最も良いデザインは、使っていることを意識させないデザインです」

この言葉には、医療機器開発の本質が集約されているように思える。

身体を起点に考えるデザインは、結果として「自然に使える」機器を生み出し、それが最終的に医療の質と安全性を高めることにつながるのだ。

ユーザーの”弱さ”を肯定するプロダクト哲学

「エラーが起きるのは、使用者のせいではなく、設計のせいである」

これは、ヒューマンファクターの分野で広く受け入れられている考え方だ。

しかし、医療機器の開発現場では、まだ「使用者の訓練不足」や「注意力の欠如」をエラーの原因とする見方も残っている。

臨床エンジニアから聞かれる声は、こうした認識の転換を求めるものだ。

「人間は疲れます。集中力は途切れます。それを前提にした設計であるべきです」

ユーザーの”弱さ”を肯定するプロダクト哲学とは、人間の限界や弱点を認め、それを包含したデザインを目指すものである。

具体的なアプローチには:

  • エラー耐性のあるデザイン(誤操作を防止または検出する仕組み)
  • フォールバック機能(システム障害時にも最低限の機能を維持する)
  • 認知負荷の軽減(記憶に頼る操作を最小限にする)
  • 身体的負担への配慮(長時間使用での疲労を考慮)

例えば、ある人工呼吸器では「疲労時の視覚特性」を研究し、長時間勤務の終盤でも重要情報が確実に認識できるディスプレイ設計を採用した。

また、手術用機器では「手が震える状況」を想定し、精密操作が必要な部分に緩衝機能を設けるなど、人間の弱さを補う工夫が施されている。

「私たちは超人ではありません。時に判断を誤り、操作を間違えます。その『当たり前』を受け入れた上で、それでも患者さんの安全を守れる機器であってほしい」

この言葉には、医療現場で日々命と向き合う臨床エンジニアの切実な思いが込められている。

ユーザーの弱さを肯定するプロダクト哲学は、単なる「使いやすさ」を超えて、「人間と機械の新しい関係性」を模索する試みでもあるのだ。

まとめ

臨床エンジニアが本当に望んでいること

この記事を通じて見えてきたのは、臨床エンジニアが医療機器に求めているのは、単なる高性能さや多機能性ではないということだ。

彼らが本当に望んでいるのは:

  • 患者さんと医療従事者の「不安」に寄り添うインターフェース
  • 緊急時にもストレスなく操作できる直感的な設計
  • チーム医療を支える情報共有の仕組み
  • 人間の弱さを前提とした安全設計
  • 技術的先進性と人間的温かみの両立

これらは一言で言えば、「人間中心」の医療機器だ。

スペックシートには表れない価値であり、カタログの表面的な比較では見えてこない本質的な機器の質である。

「私たちが求めているのは、使いこなすのに苦労する『優れた道具』ではなく、自然に寄り添ってくれる『良きパートナー』なのです」

この臨床エンジニアの言葉は、医療機器開発の方向性を示唆している。

テクノロジーと医療の”やさしい橋渡し”をめざして

医療技術の進歩は、時に患者さんと医療従事者の間に「温度差」を生み出す。

高度化・複雑化する医療機器と、その恩恵を受ける患者さんとの間には、不安や誤解が生じることがある。

臨床エンジニアは、そのギャップを埋める「橋渡し役」として、重要な役割を担っている。

そして、彼らの視点を製品開発に取り入れることで、テクノロジーと医療の間にある「温度差」を縮めることができるだろう。

具体的なアプローチとしては:

  • 開発初期段階からの臨床現場との協働
  • 実使用環境での徹底的な観察と検証
  • 「最も声の小さな利用者」への配慮
  • 身体知や暗黙知を取り入れたデザインプロセス
  • 人間の多様性と弱さを肯定する設計思想

これらを通じて、テクノロジーと医療の間の”やさしい橋渡し”を実現する製品開発が可能になるのではないだろうか。

未来の医療機器開発に必要な「想像力」と「対話力」

最後に強調したいのは、未来の医療機器開発において、技術力と同じくらい「想像力」と「対話力」が重要になるということだ。

「想像力」とは、自分とは異なる立場の人の体験を想像する力である。

患者さんの不安、医師の判断プロセス、看護師の作業動線、臨床エンジニアのトラブル対応…

こうした多様な視点を想像し、設計に取り入れる力が求められる。

そして「対話力」とは、異なる専門性を持つ人々との間で建設的な対話を重ね、より良い解決策を共に見出す力だ。

医学と工学、現場と開発、理論と実践——これらの間の対話を通じてこそ、真に価値ある医療機器は生まれるだろう。

「患者さんの命を守る医療機器の開発は、単なるビジネスではなく、社会的使命です」

この言葉を胸に、私たちは技術の可能性と人間の必要性の間にある最適な接点を、対話を通じて探し続けていくべきではないだろうか。

臨床エンジニアという「現場の声」に耳を傾けることで、医療機器開発は新たな地平を切り開くことができるはずだ。

Q&A:臨床エンジニアと医療機器開発に関するよくある質問

Q1: 臨床エンジニア(臨床工学技士)とは具体的にどんな仕事をしているのですか?

臨床エンジニアは、医療機器のスペシャリストとして、病院内の様々な場所で活躍しています。

主な業務は、生命維持管理装置(人工呼吸器、人工心肺装置、血液浄化装置など)の操作と保守管理です。

手術室での医師のサポート、集中治療室での機器管理、透析室での治療補助など、多岐にわたる医療現場で技術的支援を行っています。

また、医療機器の安全管理、スタッフへの教育・研修、新しい医療機器の評価なども重要な役割です。

Q2: 医療機器開発において、なぜ臨床エンジニアの視点が重要なのですか?

臨床エンジニアは「使う側」と「作る側」の両方の視点を持っているからです。

医学的知識と工学的知識の両方を持ち、患者さんのケアに直接関わりながらも、機器の仕組みや原理を理解しています。

現場での使用実態や課題を熟知しており、「理論上は良くても実践では使いにくい」といった問題点を的確に指摘できる立場にあります。

また、医師や看護師とは異なる視点から医療機器を評価できるため、多角的な製品開発に貢献できるのです。

Q3: 医療機器のユーザビリティを向上させるための基本的なアプローチは?

まず重要なのは、実際の使用環境と使用者を深く理解することです。

特に医療環境では、緊急時や長時間勤務など、特殊な状況下での使用を想定することが不可欠です。

具体的なアプローチとしては:

  • 現場観察による実際の使用パターンの把握
  • 多職種からのフィードバック収集(医師、看護師、臨床エンジニアなど)
  • プロトタイプの実環境でのテスト
  • エラーの発生パターン分析と対策
  • 長期使用における課題の抽出

これらのプロセスを通じて、真に現場で役立つユーザビリティが実現できます。

Q4: 臨床エンジニアと医療機器メーカーとの効果的な協働方法はありますか?

効果的な協働のポイントとしては:

  1. 開発の早期段階からの参画
    製品コンセプト段階から臨床エンジニアの意見を取り入れることで、根本的な方向性から現場ニーズに沿ったものにできます。
  2. 継続的なフィードバックループの構築
    一度きりの意見聴取ではなく、開発の各段階で繰り返し対話する仕組みが重要です。
  3. 共同研究プロジェクトの実施
    特定の臨床課題に対して、メーカーと医療機関が共同で研究開発を行うアプローチも効果的です。
  4. 臨床エンジニアの社内招聘プログラム
    一定期間、臨床エンジニアをメーカーに招き、開発チームの一員として参画してもらう取り組みも行われています。

Q5: これからの医療機器開発において、最も重要視されるべき点は何でしょうか?

技術進化と人間中心設計のバランスが最も重要です。

AI、IoT、ロボティクスなどの先端技術は医療に革新をもたらしますが、それらが真に価値を持つのは「人間」を中心に据えた設計がなされたときです。

具体的には:

  • 患者さんの不安や尊厳への配慮
  • 医療従事者の身体的・認知的負担の軽減
  • チーム医療を円滑にするコミュニケーション支援
  • 人間の多様性(年齢、文化、身体能力など)への対応
  • 技術の透明性と信頼性の確保

これからの医療機器開発では、「何ができるか」だけでなく「誰のために、どのような価値を提供するのか」という視点がますます重要になるでしょう。